ゼンタングルの世界
前回の記事で、CZTセミナーまでの申し込みを書くと記載しましたが、それより先に、私がなぜゼンタングルにハマったか、CZTになろうとまで思ったのか、を書きたいと思います。
(まだCZTなれてないしね…セミナー参加してもし落ちたらアレだしね…)
以前書きましたが、私が初めてゼンタングルを描いたのは2018.07.04。思えばこのタイミングもとても重要でした。
私はその直前、2018.06.08からまで、画家活動として5回目の個展を開催していました。初めての抽象画個展でした。
メイン作品がこちら。『地平線のその先へ』というタイトルです。
これまで描いたことのない大きいサイズを描こう!と意気込んでの、F30号(910mm×727mm)。額装すると縦1m超えました。そこに、今ならこの表現ができるのですが、オーラの山をひとつ3mmくらいの幅、高さで延々と描いていました。
その作業、3〜4ヶ月。個展作品というのは、自分との戦いです。自信がなくても、これでいいのかなと迷っても、誰も頼りにできません。『絶対にこれ描いたら綺麗だ』という、構想した自分を信じて続けるしかありません。下地を塗って、「これだ!」という背景色を創ったら、毎日毎日手首が攣るまでオーラの山。それが3〜4ヶ月。
最終的な作品の出来としては満足して、これはいい一枚だ、と思っていますが、
はっきり言って、相当創ってる間は辛くて、ノイローゼ地獄でした笑。何度枕を涙で濡らしたことか笑。つまり、産みの苦しみが強すぎたんですね。
それから解放されて半月後あたりに、初めてゼンタングルのワークショップに参加しました。「ゼンタングルに間違いはない」「絵心は必要ない」「誰でも描けるように描き方が公開されている」「小さな画面の中で構成される」「お互いの作品を尊重し合う」「みんな違ってみんないい」…『もう、しばらく描きたくない』と思っていた私にベストマッチしたのです。
特に、「絵心は必要ない」「誰でも描けるように描き方が公開されている」が、心に響きました。私は美大に行ってデザイン事務所に勤めた後、画家、イラストレーター、デザイナーとしてフリーになりましたが、幼い頃から、「絵が描けるのすごいね」と言われるのが違和感でした。
皆さん、絵にハードル高いイメージを持ちすぎだと思います。絵の評価というものは、好きか嫌いかでしかないと私は思っています。公募に出して、落ちる。でも、だから私がダメなのではなく、求められているものに合わなかった。技術不足は勿論絵に限らず問題点としてどんな世界にもありますが、つまり、そういうことなのです。技術不足は反省する、でもそれがその時の自分の最大限であれば仕方ない。学校の授業でも、ビジネスでもなんでも同じです。なのに、「絵」は「描けるのすごいね」と言われる。これが昔から引っかかっていました。(ちなみに、私からすると、「パワーポイントを使える」人の方がすごく感じます)
それを、技術としても完成されているパターンの描き方まで公開して、「絵の世界」の最初のハードルを下げている。素晴らしいことだと思います。「絵が描けるのって別にすごくないよ、一緒にやろうよ!」という思いを幼少期から持っていた私には、感動にも値することでした。
最初は「新しい抽象画のパターンを盗もうかな」と思ってゼンタングルのワークショップに参加した私ですが、その思想に心から共感し、自分からも広めていきたい、と思うに至り、CZTセミナーに申し込むまでになりました。絵が好きだからこそ、誰でも気軽に、絵を描いて楽しむ社会になってほしいな、と、強く思っています。
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